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またしても拡大自殺が起こってしまった…

以前拡大自殺について書きましたが、またしても拡大自殺が起こってしまいました…。

心斎橋通り魔:礒飛容疑者「死刑になると思ってやった」- 毎日jp(毎日新聞)
(ウェブ魚拓)

拡大自殺による犠牲者の数はこの世の中に存在する全殺人のほんの一部に過ぎない、という意見を聞いたことがあります。事実としてはその通りです。

しかし、拡大自殺による犠牲者は、今回もそうだったように殺されるいわれのない一般市民です。池田小事件のように子供など弱い者が選ばれることもしばしばあります。数はわずかだという意見は、それは受忍せよと言うものでしょうか。そのために自分や自分の子供の命を差し出すときが来たら、それは覚悟せよと。

俺は嫌です。

俺は死刑存置論者でした。自分が殺されたくないからです。それが抑止になっていると思ったからです。しかし、「死刑になりたい」と言う理由で、無差別殺傷をする事件が、自分も訪れたことのあるところで次々と起こっています。また俺の行動範囲を見渡すと、そういうことにうってつけの場所がいくらでもあります。俺は恐ろしい。

よくよく考えると、俺は善良な一般市民として生きています。誰かの怨みを買って、それがもとで殺される可能性がある、そんな生き方をしているつもりはありません。死刑の存在によって俺の命は守られているわけではありません、たぶん。俺だけじゃなく、この国の普通の人はほとんどそうだと思います。俺の昔の友人で一人、道を踏み外してしまった (彼自身はきっと道を極めたと思っているのだろう) 者がいます。彼は死刑の抑止力の恩恵を私たちより受けやすいところにいるのでしょうが、そいつとは色々あった末縁を切ったので、もうそいつがどうなろうが俺の知ったことではありません。

新しい法相が死刑を執行すると言っているみたいですが、よく考えてください。法相はきっとうちのブログなんか見ないでしょうから、せめてこの記事を読んでくれた方だけでも。死刑の存在は普通の殺人を抑止するかもしれませんが、死刑がなければ起こらないはずの、こんな悲惨な事件をむしろ惹起しています。どうしたら良いのでしょう。

死刑の適用要件を厳しくしても、起こる事件がそれだけ悲惨なものになるだけでしょうね。じゃあ、緩くしたら?一件一件の事件の凶悪さの度合いは下がるかも知れませんけれど、件数が多くなってしまうでしょう。こういうタイプの犯人にのみ死刑を出さないとか…ああ、ダメだ。死刑を恐れた殺人犯がついでに多数の人間を巻き込むことになりかねない。

俺も、死刑というものが存在する国に生まれ育った人間として、そしてその制度を当然に受け入れてきた者として、死刑を廃止するということに全く抵抗がないわけではありません。でも、こんなしょうもないことで自分や自分の大事な人達が傷つけられるのは嫌です。死刑制度存置の仕方のないリスクとして受忍せよと言われても、それはできません。死刑制度の存置は俺には受け入れられないということになるのでしょう。難しいところですが、俺は死刑を廃止すべきだと思います。

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